2013年11月18日月曜日

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今日はめちゃめちゃ急いでカレーを作ったのだけど、
すごく不味かったし、怖い味がしたから思わず捨てた。
実際、野菜も半分くらい腐ってたかも。

そもそも今日は仕事が少し遅くなって、
カレーを作る時間なんて全然なかったのだけど、
野菜がもうダメになりそうで怖くて、無理矢理カレーを作った。

だけど、出来上がった代物はなんだか粉っぽくて、
不味くて、すごく殺気立った味がして、
こんな風に調理してしまったことを、ものすごく後悔した。

急いで雑に作った3品よりも、
たった1品の心を込めたお味噌汁とか、サラダとか、
そんなものの方が、美味しくて人間の栄養になるのだった。

これまで、捨てたら野菜に呪われる!とか、
お百姓さんの苦労を無下にしたらバチが当たる!とか、
そんな強迫観念から、忙しくて全然無理なときでも
無理矢理調理してたのですが、思えばそんな料理は
大概後で「やっぱり無理や〜」みたいな感じで捨ててた気がします。

もちろん、無駄がでないように気をつけるのは、
もちろんなのですが、
そもそも大概の植物の実というのは、
生きて、地面に落ちて、朽ちて、運が良ければ種が生き延びるという構造で。
何と言うか、朽ちるのは自然の摂理なのであって、
そこにまで自分で責任を取ろうとしたり?罪悪感を感じる必要はなかったのかなというのは、
都合の良すぎる考え方でしょうか。。。

お百姓さんの苦労を無駄にするのは、確かに良くないことですが、
そんなこと言ったら、いつも誰かが苦心してデザインして、
木の命を削って作った紙に、誰かの労働力をもって工場で刷ったチラシとかは、
平気で捨ててますわな。。。

確かに、命を育てるっていうことと、工場で大量にチラシを刷るのは、
人間の感情として重みが違うということは分かるのですが。
そして、そのどちらも正当化されることではないのかもしれませんが。

しかし、おいらの雑な料理はとにかく間違っている気がした。
もし、どうしてもダメにしてしまった食材が出たら、
これからは、きちんと捨てようと思った。
そして、燃えて水と空気に帰っていただくか、
迷惑にならなそうなものなら、近くの空き地にそっと置いて
動物が食べるか、そのまま朽ちるか、自然の輪に戻します。

食べ物を無駄にしないって、
無理矢理食べるのも一つの方法だけど、
それが唯一の方法でもないし、それが完全な正解でも、全然ない気がした。

あと、プロは知らないけど、素人の料理はやはり心。
自分に食べさせるときも同じ。

きほんのきやで。